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エレクトーンの思ひで

先日、同僚(といってもずいぶん年下)と音楽の話から習い事の話しになりました。

私はけっこう話し方のモノマネがうまい方で、「〇〇風」というマネをすると
似てる~と言われます。これは、2歳の時から始めたエレクトーンで培われた
音感なのかもしれません。

で、習い事というのは長い順に以下の通り。

エレクトーン
習字
剣道(4年)
そろばん(半年で辞めた)

というものをやっていました。
このエレクトーンというものは、私の劣等感と挫折がちりばめられたものであります。

エレクトーンは2歳から12歳まで。10年間。
まあ、2歳のエレクトーンなんて何してたかわかりませんが...。
音符を、リンゴ何個分だからナントカとか、なんやら絵を描かされていたけど
リンゴ何個分てハローキティの体重じゃないんだから...。

最初はすでに始めていた3つ上の姉に、セットで、という形でスタート。
ヤマハ・河合があり、うちには河合の先生が来ていました。

当時うちにあったエレクトーンはこんなの。
エレクトーン.jpg
ヤマハであったことは覚えていますが、機種不明。だいたいこんな感じでした。

この先生はとても美人でとても恐ろしく、間違えるとバチンと手をたたかれ
「この手!!」と怒られていました。

母は「この子はボーっとしているからそれぐらいやってもらったほうが良い。」
ということで泣き泣き練習を続け、上達と共にエレクトーン自体を買い換える
ことになりました。横浜駅のそばのヤマハでいろいろ聞いたことを覚えています。
エレクトーン4.jpg
これは機種を覚えています。「えふいーななじゅう」と言っていたから。

新しい曲が課題で出されると次の週までに練習を繰り返すのだけど、
母も「3回連続で間違えずに弾けなかったら夕ご飯抜きよ!」と、
本当に夕ご飯が無いときもあって、姉なんか自分もできないくせに
私ができていないことを得意気に言いつけ、自分だけはご飯を食べている始末で
もうなんで続けているのかわけが分からなくなりつつ、転勤しても私だけは続くのです。

転勤で福岡に行った私は、ヤマハ音楽教室に通うことになりました。
初めてのグループレッスン。発表会の形態も今までと違っていました。

河合というアウェー炸裂の環境からやってきた私は、グレードテストなるものを
初めて受け、テストというものはすべてトップを目指す母は燃えました。

家に帰れば母のスパルタ指導があり、夕飯がかかった練習をしていたので
楽しい習い事~というつもりの周りの子供とは進度も違い、どんどん上に上がりました。
そして、ここで求められたのは「感情を爆発させた弾き方」だったのです。

時々テレビで「天才エレクトーン少女」とかいうのが出てきますが
白目むいてんじゃないかというほどのトランス状態に陥った子供が
アタマをガクガクさせながら多動な感じに音を出し、発作のように弾き終わると
抜け殻みたいになってゼーゼーと肩で息をしていますよね。

もののけに取り憑かれたか気がふれたかというオーラに
昔の自分を見ているようで涙が出ます。そんなことしなくてもいいんだよ、と
言ってあげたくなる。

今なら絶対言う。「どこ行っちゃったの! 帰っておいで!!」

ところが、それをしないと目をかけてもらえるようにはなりません。
「この子はこんなに自分の表現をすることに喜びを感じている」状態を要求され
まるで自己啓発とかインチキの宗教のようにコントロールされるのです。

親も「この曲はね、空港で、やっと恋人に逢える!!って迎えに行く曲なんだから
あなたの弾き方じゃダメ、全然思いつめた感じが出てない!」とか言うのですが
10歳の女児に恋人とか言われても。ウイングって言ったら鶏手羽が思い浮かぶし、
小学生がタバコのにおいのシャツに寄り添ったらダメだと思うのに。

でも親の顔色と解説から掘り下げていくと、そのうちがOKが出るのです。
そして教室で宗教の儀式が始まるという。楽しくないどころか引いていました。
楽しくも無いのにヘンな笑顔で手を振り、アタマを振り、...当時我が家にビデオカメラが
無くてよかった。

そのまま年月が過ぎ、ここでも「お嬢さんのレベルではこのクラスですね」と
買い替えのススメがあります。もうその頃は、鍵盤をたたくのにミスがないとか
いうことではなく、エレクトーンにMDが付いていて、弾き方そのものが違っていました。
プログラムしていくのは先生がやりますが、それにあわせたボタンの操作も
練習が必要になりました。

その頃のエレクトーンはこういうのでした。
エレクトーン5.jpg
買い換えないと、新しい曲を練習するには教室に行かないとできないのです。
発表会の前なんかは教室が休みのときは先生の家に行って練習。
教室の大会で優秀賞を取ると、町内の大会に出て優秀賞をとり、
今度は郡の大会、その次は県の大会、と出て行くのです。
で、レベルアップと共にエレクトーンもグレードアップ。

大会に行くとこんなので弾いてる子もいました。
エレクトーン3.jpg
白もあるわけー。カッコイイな。

このころから、自分が何をしているのかは完全に分かっていませんでした。
とりあえず、教祖先生の言うとおりにしておけば勝ち進んでいたのです。
熱心な信者母は衣装製作に熱を上げていましたが、とっくに辞めていた姉からは
「どうせ機械頼みの音のくせに。」と鼻で笑われ、このことは強烈に印象に残っています。
確かに、指1本で鍵盤を押さえているのに、プログラム上和音が出たり
リズムが出たりするのです。

そして県の大会なんかでは、自分よりももっと上の
圧倒的な同年代の子がたくさんいました。
しょせんイナカの秀才だったと衝撃的でした。

しばらくして、また転勤で横浜に戻りました。
今度はそのままヤマハ音楽教室に行くことになり、バスに乗って
横浜駅のハマボウル近辺の教室に通うことになったのです。

都会はもっとスゴイと思ってビクビクしていたのに、
横浜でのグループレッスンは高校生のお姉さんたちのクラスでした。
それも、鍵盤操作の技術的には私が一番秀でていました。
剣道にしろエレクトーンにしろ、ガッツが違うぜ福岡県。

ただでさえチビの私は、高校生と若い先生のクラスで「小さい子」と言われながら
6級をとるになったのです。(5級で指導者の資格がもらえる級だったと記憶しています。)
横浜では宗教色はなくいっそうの技術の獲得で、問題となったのは音の創り方でした。

高校生のお姉さんたちは「さっき来るとき、あぶない刑事の撮影やってたー」
「うそー見たかったー!!」なんて会話をしていますが、私の家はテレビといえばNHKで
(自分が高校の時にバイト先の大学生に『うち、民放は見ないんです』と言って爆笑された)
まったくドラマも歌も聴かない環境だったのです。

高校生: 「今日帰りにパフェ食べに行こう!」「行く、いく。」「あなたは...どうする?」
ツケモノ: 「私はいいです...」
高校生: 「だよねー。」

パフェ代なんかもらってきていません。

羨ましいとも思わず、そんなこと言ってるからその程度なんだ、と
多少バカにした気持ちもありつつ、でも弾くのはエレクトーンは「今流行の曲」ばかり。
そんな矛盾にも気づかないままそのうち、どうやっても自分の力の無さを自覚したのは
「曲を理解していない」「バリエーションを知らない」ことを漠然と理解した時でした。

プログラムを自分で組むことにものすごく苦労したのです。

先生からは「なんでここでこの音を持ってくるかなー?」
「ここはこのビートでしょ。」「どうしてこれを組んだの?」

先生もきっと嫌になっていたと思います。
なにしろ私は、楽譜どおりに弾けばいいと思っていたから
なんちゃーすべてピアノの音でも良いよ、という思いだったし。

でも、この頃要求されていたのは、音を創り出す、ということでした。
...。付いていけませんでした。親にもうまく説明できず、もうやめたい、ということだけを
伝えました。親は「高校生と一緒が嫌なら個人レッスンで通えば良い」と言いましたが
そういう問題ではなかったので、泣き泣き嫌だと言うと、「あなたにはガッカリした」と
言われたものの、小学校卒業を機に辞めさせてもらえました。

劣等感がさらに強まり、挫折を味わった習い事でした。

なんでこんなに自分がプログラムしたものはダメなのか?
ということですが...

きっとこれは、飛び級の弊害です。
デザイナーや絵描きさんは小さい頃からたくさんの絵の具を
使っていろんな遊び方をしてきただろうし、音楽をやっていくなら色んな音を聴いて
楽器に触れて、欲を言うなら歴史的背景も勉強していく必要があっただろうに、
マシーンのように言われたことだけをひたすら練習をしてきた私には色んな音も
恋心がなにかも分からず、全くこのホネになるものがない本当の子供だったので、
ある程度のこと頃まできたら成長しなかったのではないか、と思います。

いろんなことでたくさんの経験をさせて感情に触れて、たくさんの選択肢や
バリエーションがある、ということを教えていかないと、独創性や
いわゆる個性や面白さは見出せないし、リンクするところがないと
成長がないからなー。成長するために必要な寄り道もあるのではないかと。
教室帰りのパフェだって、その後の成長につながるかもしれないよ。


このことは、私が今の仕事をする上で重要な影響を及ぼしています。
いろんな新人や後輩がいる中で、その子なりの理解、その人なりの見解、
覚え方、今年のゴール、結局どうなりたいかはそれぞれの思いがある。

私が教えた通りにやらないからダメー、ではなくて、それも正解、
こういう場合はもっと他のやり方もあるよ。根拠と一緒に、
今はコレだけどこういうのにも応用できるよ。ということを教えていく。
なるほどー、が増えれば伸びていくんじゃないか。というスタンスです。

10年のエレクトーンでそれだけかい!と親には言われそうですが...
人間なにがどう影響するかわかりませんということで勘弁いただきたい(^^;




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コメント 8

かわばち

( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
このような教育受けたらもれなくグレる自信があります。
by かわばち (2012-04-20 19:22) 

LoveBeer

そこまでの英才指導では無かったですが、小学生低学年でのピアノの先生の言葉(叱責)は今でも記憶に残ってます。
今もですが小さいころから競争は嫌いでした(><)

by LoveBeer (2012-04-20 20:40) 

ryang

かわばちさん
洗脳されてましたねぇ。
辞めるということさえ思いつかないほど練習ばかりしていました。
グレることも考えたのですが、いかにして家を出るか、
どうやって食っていくか、と考えたらグレる暇はなかったです(^^;
by ryang (2012-04-20 21:06) 

ryang

LoveBeerさん
親は情操教育だと言い張っていましたが、情操を育むために
必要なことはほぼスっ飛ばして技術ばかりでした。

ピアノやエレクトーンの先生って、子供相手にものすごいこと
言いますよね。私も「真似だけは上手なのね、真似っ子おサルさん!」
と言われたことも、20年以上経っても忘れられません。
その他いろいろ、今聞いたら訴えてやるー、というようなことも
たくさん言われました。
先生たちもピアノやエレクトーン一直線で中身は子供のまま、
という人が多いような気がします。
by ryang (2012-04-20 21:13) 

kou

うちの子供は小学校の6年間、ヤマハの音楽教室に通ってました。当然、エレクトーンも買いましたが今はカバーをかぶったままで、とても邪魔なのですが、子供はたまに「翼を下さい」などの譜面を出して弾いてる気配があります。
でも、小学校6年の時に嫌だと言い出しましたが、何とか最後まで通ったようでした。

それに先生は営業が上手でしたよ(^^;)
by kou (2012-04-22 19:11) 

ryang

私の実家のエレクトーンはずいぶん前に
どこかに引き取られていきました。ドナドナド~ナ~♪

by ryang (2012-04-24 01:42) 

kasumin

私も「河合」でピアノやってました。
アウェー…、確かにそうですねぇ。(笑)
私も小学生でコンクール出されちゃったんですよ。
でも演奏に失敗して、それ以降辞めちゃったんです。
当時は自分で限界を知ったみたいな気分でいたけど、
今思えば、小学生ですからねー(^^;)
もっと気楽に続けていれば良かった。
うちの母は、私が続けるも辞めるも自分で決めなさいってタイプだったんですよ。

天才エレクトーン少女のトランス状態・・・
その表現に思わず笑ってしまいましたが、すっごい良くわかります!
私も何となく苦手なんですよねー、そういう子供達。
見ていて目を背けたくなっちゃう。
白々しく見えてしまうからなんだろうけど、
それを要求されているからなんて、ちょっと切ないですね。
by kasumin (2012-04-24 18:51) 

ryang

kasuminさん
そうなんです、子供にやらせるにはつらすぎる音楽で、
ちっとも音を楽しむ音楽じゃないんですよね。
子供は経験値がないから、どうすればよくなるか、という
選択肢自体がないですよね。そこを伸ばすか潰すかは
大人の関わり次第ですよね。

トランス状態、分かっていただいてうれしいです(^^;
なんともそうとしか言いようの無い、パフォーマンスに
私の中では黒歴史となっている年があります。
by ryang (2012-04-24 23:18) 

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